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イギリスの都市・人口ランキングTOP10選!都市の歴史も解説

12 min

イギリスへ旅行に行く時などに、

  • イギリスの人口はどれくらいいるのだろうか?
  • イギリスの都市の歴史はどのような歴史があったのだろうか?

と考える方もいらっしゃると思います。

この記事では、イギリスの人口ランキングTOP10選を紹介します。

また、併せて都市ごとの歴史も解説します。

都市ごとにどのような歴史があって、どのくらい人口に成り立っているかを知ると面白いよね!

ぽん太

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maru

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これから、イギリスの人口TP10選と都市ごとの歴史についても紹介していきますね。

◽︎ イギリスの基本データ

名称: 英国(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)

面積: 24.3万平方(日本の約3分の2)

首都: ロンドン(人口約898.2万人)

言語: 英語(ウェールズ語、ゲール語等使用地域あり)

宗教: 英国国教会等

通貨: スターリング・ポンド(1ポンド=約145円、2019年4月)

一位 ロンドン(イングランド) 898.2万人

ロンドン(London)の背景
ロンドン(London)

ロンドンは、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国を構成するイングランドの首都。

2000年前のローマ帝国の属州であったブリタニアがロンディニウム(現ロンドン)を建設して、後のロンドンの原型となりました。

ロンドンは、ケルト民族の言葉で「沼地の砦」を意味します。

名詞の接尾後に(-don)がつく町は、「谷」や「砦」といった意味を持ちます。イギリスでは、ロンドン(London)以外にもスウィンドン(Swindon)、クロイドン(Croydon)、バジルドン(Basildon)という町があります。

ロンドンは世界水準の世界都市として、

  • 芸術
  • 商業
  • 教育
  • 金融
  • 交通
  • 観光
  • メディア
  • ヘルスケア
  • 専門的なサービス

の分野にわたって強い影響力を保持しています。

ニューヨークと並び世界をリードする金融センターもあり、世界的な文化の中心です。

ロンドンの人口は、産業革命がきっかけとなり19世紀から20世紀初期にかけて急速に増加しました。

1939年、第二次世界大戦が勃発する直前に人口のピークを迎えました(人口: 861万4,100人)。

世界の諸都市のうち人口は25番目に多く、都市圏では18番目に多いです。

また、世界で4番目に米ドルベースで億万長者が多い地域です。

ロンドンは東京やモスクワと並んで物価が高い都市という調査結果もあります。

ロンドン(London)についてる-donがつくと「谷」っていう意味なんだね!

ぽん太

ぽん太

maru

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下記では、イギリスの地名をまとめた記事があるので、町の由来が気になる方は一読してみてください。

ロンドンの歴史

ロンドンは、古くから人が住んでいたことが考えられています。

一説によると、紀元前4500年頃から人が住んでいたと言われます。

また、紀元前1500年頃(青銅器時代)に使われていた橋が1999年に発見されました。

ロンドンが大きく開拓されたのは、43年ローマ帝国によって創建されてからです。

ローマ帝国の繁栄と共に人口も増加していき、2世紀のロンドンには6万人近くの人口があったとされます。

ロンドンは、ドーバー海峡からも近くフランスが近い点とテムズ川が流れているため農作する場所に適していたためと言われます。

5世紀、6世紀にはアングロ・サクソン人によって発展されてました。

886年にアルフレッド大王がデーン人の指導者であるガラスムとウェドモーアの和議を締結するまで人口の増加が続きました。

10世紀、すでにイギリス内で最大の都市となり、貿易面と政治面ともに重要な都市としての地位を獲得しました。

14世紀初頭には、総人口が10万人ほどまで増加しました。

しかし、ペストが発生して人口の3分の1にも達する10万人ほどの犠牲が出ました。

maru

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当時のイギリスは、「百年戦争」の最中であり、黒死病(ペスト)によって、和平条約が模索されましたが締結されることはありませんでした。

1565年のオランダとイギリス間の貿易再開により、瞬く間に商業が栄えて、国内外から移住者がイギリス国内に来航しました。

1530年の人口は推計で5万人であり、1605年には22万5,000人にまで上昇しました。

1666年、「ロンドン大火」という事件が発生して、ロンドン全体で約85%パーセントの家が焼失しました。

建築家ロバート・フック指揮のもと、ロンドン再建に10年の歳月をかけて再建を行いましす。その結果、ロンドンの町は一命を再建を果たします。

1708年には、聖パウロを記念とするセント・ポール大聖堂が完成。

18世紀になり、犯罪率の高かったロンドンで「警察」が設立され、同時期コーヒー・ハウスで意見を交わす社交場が流行しました。

1777年の文学者サミュエル・ジョンソンが「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。ロンドンには人生が与えうるものすべてがあるから」と述べました。

18世紀英国において「文壇の大御所」と呼ばれました。親しげに「ジョンソン博士(ドクター・ジョンソン)」と称されます。

ロンドンは産業革命を通じて、人口が増加。

1831年から1925年頃、ロンドンは世界最大の都市となりました。

感染症であるコレラや第一次世界大戦、第二次世界大戦を通して、多くの人が亡くなり、建造物が破壊されましたが、終戦直後に開催されたロンドンオリンピックで復興の兆しを見せました。

2012年には、第30回オリンピックが開催され、1908年、1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となりました。

アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界1位の都市としてロンドンが評価されました。

政策研究所、研究機関は、社会政策、政治戦略、経済、軍事、技術、文化などのテーマに関する研究をを行う組織。

2位 バーミンガム (イングランド) 114万人

バーミンガム(Birmingham)の町並み
バーミンガム(Birmingham)

バーミンガムは、イングランド、ウェスト・ミッドランズに属す工業都市。

18世紀まで特徴のない小さい村であったが、交通の要所であったため産業革命の進展に伴い工業都市として発展を遂げました。

ロンドンとリヴァプールを結ぶちょうど中間点に位置しているため、経済の流通を支えました。

電子量の単位ワットに名を残すジェームズ・ワットによる金属工場の建設を契機に大工業都市に発展。

かつてロンドンとの物資輸送が行われていたグランド・ユニオン運河は、赤煉レンガの倉庫や中世ヨーロッパの雰囲気を残しておりノスタルジックな風景が広がっています。

バーミンガム博物館やバーミンガム図書館など、教養を養える施設も揃っています。

バーミンガムの歴史

バーミンガムは、ロンドンとリヴァプールを結ぶ中間点に位置していましたが18世紀までは特徴のない小さな町でした。

産業革命の進展にともなって運河と鉄道の交差点になり、物流の中心都市として発展しました。

蒸気機関を改良して、全世界の産業革命に拍車をかけたジェームズ・ワットと実業家であるマシュー・ボールトンによるソーホー金属工場の建設を機に大工業都市として発達します。

 3位 グラスゴー (スコットランド) 61万人

グラスゴー(Glasgow)の町並み
グラスゴー(Glasgow)

グラスゴーは、イギリスのスコットランド南西部に位置する同国最大都市です。

スコットランドでは、最大規模の都市となります。

全長740kmにもなるアントニヌスの長城は、世界遺産にも登録されていて、多くの観光客が訪れるスポットとなっています。

ローマ帝国が最盛期を迎えた、五賢帝時代のアントニヌス・ピウスが北方民族の防壁として建てた長城。

1451年に建設されたグラスコー大学もあります。

グラスコー大学は500年以上の歴史を有する英語圏最古の大学であり、オックスフォード大学やケンブリッジ大学と並ぶアンシャン・ユニヴァーシティー(古代の大学)に属する大学です。

主な出身者は、経済学の祖となるアダム・スミスノーベル化学賞を受賞したウィリアム・ラムゼイなどが輩出されているなど、イギリス文化の中心的役割を果たしました。

maru

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グラスゴーは、有名建築家・デザイナーの出身地としても有名で、街には素晴らしいデザインの建築物が数多くあります。

グラスコーの歴史

起源前から、クライド川沿いに集落が形成され、ローマ帝国はこの地に拠点を築きました。

西暦142年から144年にかけて、五賢帝の一人であるアントニヌス帝がスコットランド人(カレドニア人)に対してアントニヌスの長城を建設。

12世紀には、街のシンボルであるグラスゴー大聖堂が建設され、1451年には、ローマ教皇ニコラウス5世の認可により、神学の大学としてグラスゴー大学が設立されました。

グラスコー 発祥の地と呼ばれていて、スコットランドで唯一、中世に建てられた教会です。「聖マンゴー大聖堂」や「聖ケンティガーン」などの別名で呼ばれます。

16世紀に入ると、クライド川の水運を用いた貿易が盛んになり、大航海時代でえたタバコや香辛料、カリブ海の砂糖などがグラスゴーを中継してイギリス国内に運ばれました。

1702年に即位したアン女王の目標であったイングランド・スコットランド政治統合が1705年に果たされ、交通網やインフラの整備が活発に行われ人口も増加しました。

産業革命が始まると、ランカシャーで採掘される石炭と鉄鉱石によって工業化が進み、グラスゴーでは綿工業を中心とした産業が盛んになりました。

また都市の発展に伴ってアイルランド等からの移住者が増え、大英帝国第二の都市と呼ばれるようになりました。

第二次世界大戦後、イギリスの経済が悪化したことで、ロンドンやパリ、ベルリンについで第四の都市でしたが人口も減少の一途を辿りました。

その後、金融などを中心に経済が回復し、現在の人口に落ち着いています。

4位 リバプール (イングランド) 57万人

リヴァプール(Liverpool)の町並み
リヴァプール(Liverpool)

リヴァプールは、イギリス北西部マージーサイド州の中心地です。

かつては、イギリスの主要な港湾都市でありました

しかし、近年は観光名所として成長を果たしています。

主な理由としては、

  • 世界的ビッククラブであるリヴァプールFC(Liverpool Football Club)
  • 世界的ロックバンドであるザ・ビートルズの出身地

などを挙げることができます。

2008年に、欧州文化首都に選ばれました。

欧州文化首都とは、欧州連合(EU)が指定した年で、1年間にわたり集中的に各種の文化行事を展開する事業。

リバプールの歴史

1207年、ジョン王がリヴァプールに自由都市の特権を与えたことが歴史に記録されるきっかけとなります。

都市として、大きな発展を遂げるきっかけは17世紀末に近郊のチェスター港が泥の体積によって、港の役割が機能しなくなります。

リヴァプールは、チェスターに変わってイングランド北西部の商業都市の代表格にのし上がりました。

イギリス、イングランド北西部チェシャーの中心都市。都市の名前の由来でもあるように、国内で良好な状態で現存する城郭都市のひとつであります。人口は8万~10万人。

郊外では、西インド諸島などと貿易が盛んに行われ、製造業や通貨の交流が活発になりました。

そのため、町は次第に繁栄していきました。

1715年、イギリス初の係船ドックが建設され、貿易がスムーズに行われるようになります。

ドックとは、船の建造、修理、係船、荷物作業などのために作られた施設の総称を指します。

18世紀が訪れ、イギリスは「大西洋三角貿易」において、世界の中でも独占的な地位を築いていました。

そのなかで、リヴァプールは取引相手となる北アメリカ・西アフリカを結ぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を行いました(*これは、奴隷貿易で都市が発展した負の歴史でもあります

三角形の頂点にあたる地域である、ヨーロッパ(イギリス)、西アフリカ、西インド諸島の3地域での貿易のことです。イギリスは、この貿易で多くの利益を獲得しました。

1830年には、リヴァプールとマンチェスターを結ぶ鉄道(リーズ・リヴァプール運河)が開通し、交通の要所となります。

人口も上昇し、19世紀末にはロンドンに次ぐ都市と呼ばれました。

しかし、第二次世界大戦がキッカケで多大な被害を被ります。

そのため、貿易都市としても機能しなくなり、徐々にイギリス内での地位が低下していきました。

1960年代から1970年代にかけて、リヴァプールの再建計画がはじまります。

現在では観光地の名所となっている、街角のアート・オブジェやビートルズの建物も建設に注力しました。

その結果、2004年にユネスコの世界遺産に登録され、観光産業の追い風となっています。

5位 ブリストル (イングランド) 56万人

ブリストル(Bristol)の町並み
ブリストル(Bristol)

ブリストルは、イギリス西部の港湾都市。

2007年には、ブリストルだけで46万人の人口が推計されました。

世界的に有名な覆面アーティスト・バンクシーの出身地でもあるため、街中に色鮮やかなグラフィティスプレー缶で描かれた壁画)であふれています。

英国を拠点とする匿名のストリートアーティスト。世界中を舞台に神出鬼没を繰り返し、壁・橋などに、ステンシル(型紙)を使ったグラフィティを残しています。ブラックユーモアーを感じるメッセージと、突然現れる演出から、多くの人の注目を集めています。

ブリストルの人口は、イギリス全体で5番目に多いです。

また、南東には歴史的都市であるバース、北にはグロスターが位置しています。

ブリストルの歴史

古代ローマ人が築いたアポナという港がブリストルの基礎となりました。

それ以降、ブリストル は都市として形成されませんでした。

10世紀にブリストル が商業港として栄始め、11世紀初頭にはアイルランドとの羊毛貿易の中心地となりました。

13世紀に交通量の増加によって、港の船舶に不足を来すようにったため、1240年代にフロム川の合流点の付け替えを含む国内で類を見ない港の拡張工事が行われました。

その結果、港の容量は2倍に増加して、後にブリストルが発展する基盤となりました。

ぽん太

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ブリストルは、港の拡張をきっかけに大きくなっていったよ!

18世紀に、大西洋三角貿易の拠点の一つとして栄えて、1700年には2万人だった人口は1801年には68,000人に拡大。

それに伴って、郊外の宅地化も進みました。

しかし、産業革命が進展する中で工業都市マンチェスターと鉄道で連結されたリヴァプールとの競争に敗れ、19世紀初頭にはかつての反映を失いました。

1841年にロンドンとグレート・ウェスタン鉄道が開通して以降は貿易の絶対量は回復しました。

1978年に新たな外洋港ロイヤル・ポートベリー・ドッグが完成して、港湾都市ブリストルの地位を維持しています。

6位 マンチェスター (イングランド) 54万人

マンチェスター(Manchester)の町並み
マンチェスター(Manchester)

マンチェスターは、イングランドの北西部に位置する都市です。

イギリス国内で、6番目に人口が多い都市。

歴史を感じる「マンチェスター大聖堂」やお城のような大きな時計塔である「マンチェスター市庁舎」など観光名所が立ち並びます。

世界的有名なフットボールクラブである、マンチェスター・ユナイテッドの本拠地でもあり、サッカーが好きな方は、ぜひ一度訪れたいスタジアムです。

また、ロックの聖地としても有名です。

マンチェスターの歴史

1世紀に、古代ローマ帝国によってマンクニウムとよばれる一帯が築かれ、その砦がマンチェスターの起源だと言われます。

10世紀に、イギリスが良質の羊毛を輸入して、生産する中でマンチェスターも羊毛工業によって栄え、1301年にエドワード1世から特許状を受け取りました。

14世紀には、オランダからの移民によって、毛織物工業が発展して、17世紀になるまで商業都市として栄えました。

人口も増加の一途を辿り、イギリスで産業革命が起きると劇的な成長を遂げました。

1830年に、リヴァプールとの間に鉄道(リーズ・リヴァプール運河)が結ばれ、マンチェスターで生産された綿織物がリヴァプール経由で世界中に輸出されました。

19世紀前半のイギリスでは、穀物法を巡って、コブデン、ブライトらが反穀物同盟を組織しました。

イギリスの穀物取引に関する法律。コブデンとブライトの穀物法反対運動は、自由貿易体制が確立されるキッカケとなりました。

第二次世界大戦では、大きな被害を被りましたが、主力産業が衰退したため最盛期と比較して人口は半分ほどになりました。

研究施設や図書館、金融機関などの建設などに注力し町は徐々に勢いを取り戻しつつあります。

ぽん太

ぽん太

総人口54万人のうち、およそ9%がインド人であり、5%は黒人、1.5%が中国人であることから、有色人種の割合が高いと言えるよ!

7位 シェフィールド (イングランド) 54万人

シェフィールド (Sheffield)の町並み
シェフィールド (Sheffield)

シェフィールドは、イギリスのイングランド中部の工業都市。

工業都市でありながら、自然に囲まれた地形であることから「7つの丘の上に建てられた町」として呼ばれます。

町の一番低い場所は、標高10mであり、最も高い場所は500m以上あると言われます。

シェフィールドに住んでいる、90%の人は標高100m〜200mの地点に住んでいます。

また、シェフィールド大学は6人のノーベル賞受賞者を輩出している名門大学です。

2010年に、人口が54万人に増加。

その結果、イギリス国内で7番目に人口がいる都市となりました。

シェフィールドの歴史

周辺が川にかこまれ水道動力がえられたことや、鉄鉱石と石炭が近郊で産出したことにより、鉄鋼業が発展しました。

1742年に、銀メッキの技術が発明され、1850年代には発明家ヘンリー・ベッセマーが鋼法ベッセマー法を開発。

その結果、鋼を大量生産することが可能になり、イギリス内で特異な地位を獲得しました。

当時、銀を大量生産することができなく、世界で初めて銀の大量生産を行うことを可能にしたからです。

産業革命以降、近隣のリーズやマンチェスターと並んで、工業の中心地として国の経済を支えてきました。

現在の主な産業は、金属加工業でありナイフやフォークなど刃物産業が盛んであります。

 8位 リーズ (イングランド) 50万人

リーズ (Leeds)

リーズは、イングランドの北部にある都市。

百年戦争によって、毛織工業が盛んになりました。

産業革命時には、流通や商業の中心地となり発展しました。

イングランドで3番目に大きな都市と言われます。

また、町の中心から30分も車で走れば、牧草地に羊が群れて草を食べている草原の景色が広がります。

リーズの歴史

百年戦争が行われる前は、農業が中心でした。

フランス王国を治めるフランス人王朝同士の争いに、フランスの領主たちが二派に分かれて戦った内戦です。百年戦争を経て、国家・国民としてのアイデンティティーが形成されるキッカケになりました。

14世紀頃よりフランドルから毛織物の技術が持ち込まれました。

それ以降、羊毛、毛織物の生産で栄えて、交通路の拠点としても役割を果たします。

19世紀になり産業革命の進展に伴って1816年にはリーズ・リヴァプール運河、1848年には鉄道が開通して、、交通網の整備がさらに進みました。

近年リーズは「北の首都」とも呼ばれ、金融経済の中核をなす都市として目覚ましい発展を遂げました。

観光面でもヨーロッパで注目度の高い都市として賞を受賞しました。

9位 エディンバラ (スコットランド 48万人

エディンバラ(Edinburgh)の町並み
エディンバラ(Edinburgh)

エディンバラは、スコットランドの首都であり、ロージアン州の州都です。

地名は「エドウィンの城」という意味であり、溶岩の上に形成された街なので地盤が強固です。

町全体が世界遺産に登録されていることも有名です。

中世の面影を残した歴史的建造物が並びたつ旧市街(オールドタウン)と、華麗な新市街(ニュータウン)の織りなす美しい町です。

毎年8月には、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客をもてなして賑わいます。

学術都市でもあり、世界トップクラスの研究大学として知られるエディンバラ大学があります。

また、世界的ベストセラーである『ハリー・ポッター』誕生の地。

「ホグワーツ魔法魔術学校」や「ダイアゴン横丁」のモデルになったスポットもあり、多くの観光客が足を運びます。

エディンバラの歴史

エディンバラ地域最古の住居跡は、エディンバラ北西の村で発見された中石器時代のものであります。

中世に入り、12世紀(1130年頃)デイヴィット一世がスコットランドを最初の自治都市の一つとしてエディンバラの街を築きました。

中世の都市は領主から、さまざまな特権を獲得していった。最も進んだ形では、自治都市ごとに独自の政府・法・裁判所を持つことが許可され、税を徴収できるなど高度な自治権を得ました。

1492年には、スコットランドの首都にエディンバラとなり、同年にスコットランド議会が建設されました。

1560年には、スコットランドの総人口が10万人に増加しました。

そのうち、12000人はエディンバラで暮らしていたと言われます。

18世紀から19世紀には、文化の中心と栄えて、大きな発展を遂げました。

しかし、エディンバラはヨーロッパ全体で最も人口が高く、不衛生な町の1つでありました。

エディンバラは、18世紀前半にスコットランド銀行やスコットランド王立銀行など、銀行の成立によって経済が周りはじめ大きな発展を遂げました。

そのため、ダニエル・デフォーは当時のエディンバラについて

「ここよりもたくさんの人が住む町はいくつもあれど、世界にエディンバラほど狭い空間に多くの人が暮らしている街が存在しないことは、紛れもない真実であろう。」

と述べました。

イギリスの哲学者アダム・スミスや『種の起』を著作したチャールズ・ダーウィンらもエディンバラで過ごしました。(*チャールズ・ダーウィンはエディンバラ大学出身)

現在は観光都市として、多くの観光客が訪れています。

10位 レスター (イングランド) 46万人

レスターはイングランド・レスターシャー州の単一自治体。

古代ローマ時代に建てられた歴史ある都市です。

文化の多様性を象徴するフェスティバルや、一流の博物館や「カーブシアター」と呼ばれる劇場などが建設されており、多くの観光客を楽しませます。

人口は46万人にのぼり、多様な人種が暮らす町として有名です。

レスターの歴史

ジュエリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』によると、レスターは伝説上の王、レイアによって建てられたとされています。

中世イングランドのキリスト教聖職者、歴史家。アーサー王伝説の語り手の一人として知られる。代表作は『ブリタニア列王史』であり、彼はこの本意ついて「イギリスの全英雄について整然と記したブリテン語の古書」を翻訳したと述べている。

今から約2000年前のローマ人によって、のちのレスターとなるRatae Coritanorumという都市が建設されています。

18世紀に、グランド・ユニオン運河がレスターを通じてバーミンガムまで、つながったことで交通の要所となりました。

多くの産業で支えられていたため1929年の世界恐慌の影響は逃れ、当時ロンドンに次ぐ2番目に豊かな都市とも言われました。

そのため、ヨーロッパ中の難民の受け入れ先ともなり、現在では多様な人種が暮らす町として有名です。

まとめ|イギリスの人口は産業革命から飛躍的に増加した

さいごにイギリスの都市についてまとめました。

  • 古代ローマに建てられた都市が多数あった
  • 古代から中世までは、港や川が近くにある町が発展していることがわかった
  • 産業革命が始まると、交通の要所となる町や工業が発展すると人口も増加していた

イギリスの都市の人口と歴史も併せて知ると面白いね!

ぽん太

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maru

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

maru

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メディアの編集者&ライター。
「雑学を知ることで世界の視点が広がる」をテーマに、クセになる世界雑学を発信しています。

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