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ローマ初期の英雄ゲルマニクスとは?市民、兵士からも信頼された軍人

5 min
ゲルマニクスの絵画

ゲルマニクス(紀元前15年〜後19年)とは、初代ローマ皇帝であるアウグストゥス帝の血を引き継いでいて、次期皇帝にふさわしい人物でした。

しかし、皇帝には即位しなかったことにゲルマニクスの魅力が詰まっています。

この記事では、

  • ゲルマニクスとはどんな人物?
  • ゲルマニクスの生涯

について解説していきます。

好きな箇所から読んでみてください。

カリグラ帝の父であるゲルマニクスはどのような生涯を送ったんだろう?

ぽん太

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maru

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そんな、ゲルマニクスの生涯について解説していきます。

アイキャッチ画像出典: Lionel Royer Germanicus devant les restes des légions de Varus

ゲルマニクスとは、どんな人物?

ゲルマニクスとは、どんな人物?

  • 特徴: イケメンであり、有能な将軍だった
  • フルネーム: ゲルマニクス・ユリウス・カエサル
  • 生没: 紀元前15年〜後19年 (享年33歳)

ゲルマニクスは、ユリウス家(英雄カエサル)の血を引いていて、初代ローマ皇帝となったアウグストゥスのライバルであるマルクス・アウレリウスの血も引いていました。

ローマ市民からは、ゲルマニクスの人気のみならず家族を含めて好意的に受け止められていました。

息子となるカリグラは、後に第3代ローマ皇帝となり「暴君」の代名詞として名を刻む皇帝となってしまいした。

maru

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歴史上最も偉大な歴史家の一人であるユルネリウス・タキトゥスは「アレクサンドロス大王をもしのぐ才能があった」とゲルマニクスを称賛しています。

ゲルマニクスの生涯

ゲルマニクスの生涯

アウグストゥスの血も受け継ぎ、将軍としても有能だったゲルマニクスの生涯はどんな人生だったのかな?

ぽん太

ぽん太

maru

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これから、ゲルマニクスの生涯について書いていきますね。

ゲルマニクス生誕と父の死

ゲルマニクス生誕と父の死

ゲルマニクスは、父をネロ・クラウディウス・ドゥルースス、母は第二回三頭政治の一角として権力を握ったマルクス・アントニウスの娘の小アントニアの子として生まれます。

第二代ローマ皇帝ティベリウスは、叔父に当たりました。

また、弟であるクラディウスは、41年に第四代ローマ皇帝として即位します。

ゲルマニクスの父(ドゥルースス)は軍人としてとても有能であり、身長が20cm~30cm離れている大柄なゲルマン人の攻撃をよく防いでいました。

しかし、紀元前9年におきたゲルマン系の民族の1つであるマルコマンニ族との戦いで死去しました。

ローマ人男性: 平均身長150cm〜160cm

ゲルマン民族: 平均身長170cm〜180cm

(筆者の考え)強靭な肉体(高身長)をもつゲルマン民族に対して、ローマ人は戦術や装備で勝っていたのではないかと思います。

父の名である「ゲルマニクス(ゲルマニアを征服せし者)」は、父(ドゥルースス)に対する偉業の称号であり、ゲルマニクスは父の称号を受け継ぎました。

◽︎ローマ人の名前の付け方

ゲルマニクス=ユリウス=カエサルを例に出してみます。

プレノーメン(個人名): ゲルマニクス

ノーメン(家門名): ユリウス

コニョーメン(家族名): カエサル

父ドゥルースス襲ったマルコマンニ族は、五賢帝最後の皇帝であるマルクス・アウレリウスを苦しめたね。

ぽん太

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maru

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シェイクスピアの戯曲である『アントニーとクレオパトラ』は、父であるマルクス・アントニウスとクレオパトラの恋を描いたものです。

ゲルマニクスは初代ローマ皇帝の後継者と言われた

ゲルマニクスは初代ローマ皇帝の後継者と言われた

初代ローマ皇帝であるアウグストゥスは、後継者を選ぶときに自分の血を継いでいるゲルマニクスを選ぼうと考えていました。

しかし、まだゲルマニクスが若かったため一旦ティベリウスを第二代ローマ皇帝として即位させます。

その後、14年にアウグストゥスが死去。ゲルマニクスは、ゲルマニアへと派遣されます。

ゲルマニクスが、ゲルマニアに着くと、皇帝として即位したティベリウスに不満をもつ兵士が反乱を起こしていました。

これを見たゲルマニクスは、アウグストゥスの意思を尊重して各地で起こった兵士の反乱を沈めました。

また、不満を募らせる兵士に向かって「そこまで信義に反するくらいなら死んだ方がマシだ」と言って自ら自害を試みたエピソードも残っています。

その光景を見た兵士は、ゲルマニクスの行動を語り継ぎローマ帝国全土から信頼を置かれる軍人となりました。

ゲルマニアでの戦い

ゲルマニアでの戦い

ゲルマニア駐屯軍の信頼を勝ち得た、ゲルマニクスは宿敵ゲルマン民族に対して攻勢にでます。

ゲルマン民族の将軍は、トイトブルクの森の戦い(紀元9年)でアウグストゥス帝が大敗したアルミニウスという将軍でした。

そのため、15年にゲルマニクスは真っ向から立ち向かうのではなく、アルミニウスの軍団を分断させる作戦を結構して見事に功を奏しました。

ゲルマニア付近は、冬場が特に寒く多くの戦死者を出しましたが敵将であるアルミニウスの妻を捕虜にするなどして大勝利を収めました。

その翌年(16年)にもゲルマニクスは大軍を率いて、再度ゲルマニアに侵攻することを試みます。

その結果、ゲルマン人に奪われていた軍の象徴ともいえる軍旗を3つのうち2つ取り返す快挙を成し遂げました。

軍旗は、軍や国家の象徴としての意味を持っています。戦いの際に軍旗を奪われることは最も恥ずるべき屈辱とされました。そのため、軍旗は命を懸けて守られる旗だという認識が根付いていました。

ローマでの凱旋式では、ゲルマニクスに向けて拍手喝采が起きた

ローマでの凱旋式では、ゲルマニクスに向けて拍手喝采が起きた

ゲルマン民族に事実上の勝利を収めた、ゲルマニクスはローマ帝国の首都であるローマに凱旋します。

その時に、元から人気があったゲルマニクスと共に戦った軍隊はローマの市民や元老院から称賛され、拍手喝采で迎え入れられました。

ゲルマニクスの凱旋の画像
ゲルマニクスの凱旋
出典: FORVM PACIS

誰もがこのまま「ゲルマニクスにゲルマン民族(ゲルマニアの地)を征服してほしい」と切望しました。

しかし、皇帝であるティベリウスは凱旋式の直後ゲルマニクスをパルティアやアルマニアなどが存在する東方諸国の対応を依頼されました。

ユルネリウス・タキトゥスは、

「ティベリウスはゲルマニクスに嫉妬してこれ以上の業績を建てられることを嫌った」

とアウグストゥス帝から、ネロ帝までの歴史を描いた『年代記』に記してあります。

maru

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市民から人気のなかったティベリウス帝は、これ以上ゲルマニクスに国民の支持を集めては危険だと判断したのかもしれませんね。

宿敵であるゲルマン民族との戦いが終わり、後世の人はゲルマニクスがゲルマニアに侵攻し続けたいたらどうなっていたんだろう?という期待を抱かせました。

これは、ローマ市民の間で「ゲルマニクスの神話」という形で長く語り継がれることになります。

東方遠征とゲルマニクスの最後

東方遠征とゲルマニクスの最後

ローマでの凱旋式の後。

ゲルマニクスは、ローマ帝国最大の問題となる東方諸国の対応に精を出しました。

ローマ帝国において、東方諸国との戦いは絶えず起きていて、常に最重要事項でありました。

中でもアルメニア王国は、大きな勢力を蓄えており、ローマとも国境を接しているので最優先でアルメニア王国との関係を良好にしなければいけませんでした。

ゲルマニクスが、アルメニア王国のゼノネスをローマ式の戴冠式をして迎え入れて、アルメニアは新ローマの国となりました。

アルメニア王国と関係が親密であったパルティア王国もゼノネスが迎え入れられたことに納得をして、条約を調印しました。

カッパドキアの地図

重大な任務を終えたゲルマニクスは、小アジアのカッパドキアで高熱のため命を落とします。

当時、33歳であったため皇帝のティベリウスやシリア総督であるピソの陰謀で殺された疑惑が浮上しました。

ピソが東方諸国から離れる時期と重なり、ゲルマニクスが命を落としたことで疑いの目を向けられました。そのため、ピソは裁判にかけられて自害を言い渡されます。

現在では、マラリアによって病没してしまったと言われています。

◽︎皇帝の名前(在位期間):起こった出来事

まとめ|ゲルマニクスは皇帝に相応しかった将軍

まとめ|ゲルマニクスは皇帝に相応しかった将軍

さい後にゲルマニクスについてまとめました。

  • ゲルマニクスは、家柄に恵まれていた
  • 皇帝にはならず、自らは指揮官として尽力を尽くした
  • 兵士やローマ市民からの信頼が絶大だった
  • 息子であるカリグラは、のちの第三代ローマ皇帝として即位する
  • 東方諸国との関係を円滑に進めた

もしゲルマニクスが皇帝として、即位したら名君となっていたんだろうな〜!

ぽん太

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

maru

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メディアの編集者&ライター。
「雑学を知ることで世界の視点が広がる」をテーマに、クセになる世界雑学を発信しています。

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