墨子とは、中国の諸子百家の一人であり「墨家」の祖です。
墨子は、徹底的に孔子を批判したことで知られています。
この記事では、
- 墨子の生涯
- 墨子の思想
- 墨子に関する名言
について、詳しく紹介をしていきます。

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これから、諸子百家の一人である墨子とその思想や名言について紹介していきますね。
好きな箇所から読み進めてね!

ぽん太
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墨子とは?

◽︎ 墨子のプロフィール
- 本名: 墨子 (ぼくし)
- 姓は墨
- 諱は翟(てき)
- 生没: 前480年〜前390年 (春秋戦国時代)
- 出身地: 魯の人で宗に仕えました
墨子は、名前の通り墨(すみ)という字から仕事は土木業者を行っていました。
春秋戦国時代の中でも大きな影響を持っていた、儒学を学んでも孔子が説いたされる思想には、満足できていなかったといいます。
そこで、墨子は独自で思想を開いて、一つの大きな学派を築くまでに至りました。

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これから、墨子の人物像や活動について紹介していきますね。
墨子の人物・活動

墨子は、中国の春秋戦国時代に活躍した思想家です。
魯で生まれ、宗に仕えたと言われます。
墨子は、「墨」という姓から墨(すみ)を頻繁に扱う工匠・土木業者でした。
儒学を学ぶも「仁」の思想を無差別的な愛であるとして満足していなかったといいます。
そこで、独自で思想を開き、一つの学派を築くまでに至りました。
墨子は主に「兼愛(無差別の愛)」・交利(相互扶助)・非攻(戦争の否定)を説きました。
そのため、宗国の危機に立ち上がり篭城線や防衛線に参加したと言われます。
法家の韓非(韓非子)が著作した『韓非子』の顕学篇には、
世の顕学は儒墨なり(世の中で最も高名な学問は儒教と墨子の学問である)。
上記のような記載が残されており、儒教と同等の力を持つ学閥であったことが推測されます。
あまりに平和であった思想は、戦国の諸侯に説いても響かなかったと言われているね。

ぽん太

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司馬遷『史記』には、「墨子」の記録が残されていて謎多き人物だったことが記録されています。
墨子を祖とする墨家とは?
「僕家」とは、儒家が説く礼や徳を批判して、無差別の無差別平等の偏愛や相互扶助の交利、戦争に反対する非攻を説いた武装化集団です。鉅子(きょし)という指導者の下、結束されていました。
墨子は初代の鉅子(きょし)であり、墨子の死後も何代かに引き継がれていきます。
◽︎ 歴代鉅子
- 初代: 墨子
- 二代目: 禽滑釐(きんかつり)
- 禽滑釐(きんかつり)は、墨子から伝授された守城術を活かして、宗の城を攻撃した楚から守る
- 三代目: 孟勝(もうしょう)
- 城を防衛していたが、絶望的な状況になり、孟勝含め墨者180人ほどと共に自決
- 四代目: 田襄子
- 生没年不詳
- 斉の宰相(さいしょう)になり、斉の宣公と共に生きた
墨子の思想

墨子の思想の特徴として、当時最大の学問であった儒教と対立することを説いてました。
儒家の家族道徳を「本当の道徳ではなく別愛だ、それは万人を差別している」と批判しました。

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これから、墨子の思想が色濃く反映されている『墨子』の十論を紹介していきます。
兼愛

「兼(ひろ)く愛する」という意味の『兼愛論』は、墨子を構成する大きな思想の一つです。
「万人(生きている人間)を公平に愛せよ」という教えを説きました。
儒家の愛は、身内や家族に対してのみの「偏愛」であるとして批判しました。
非攻

春秋戦国時代は、まさに戦乱の時代でした。
戦争や罪のない人が大勢亡くなっていく様を批判して、「非行」を主張しました。
戦争は財物を略奪するのみならず財物を消費する最大のものとして否定しました(*ただし自衛は認めました)。
そのため、墨家が城の防衛に参加をすることもしばしばありました。
また、
「平民は一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が地位と名誉をもらうのか」
と世の中に呈していたと言われます。
尚賢

尚賢論(しょうけんせつ)とは、道徳や才能の優れた者を任用すべきであるという考えであります。
後に中華統一を果たした秦国は、富国強兵の際に身分に関わらず将軍などを登用しました。
尚同

尚同(しょうどう)とは、身分の高い者から庶民までの社会全体が同じ方向性を向くことで、国家は繁栄することができるという考え方です。
春秋戦国時代や現在の中華民国では、上位者が国を統一することが良いと言われていました。
しかし、墨子は「庶民にも説いかけることが大切だ」と説きました。
節用

節用論とは、食事や装飾品にかけるお金を抑えて、質素な生活を送り実用的なことに投資することで、国家を繁栄させようという考え方です。
節葬

葬儀論とは、葬儀にかけるお金を節約して、他のことにお金を使うべきということを説きました。
葬儀をしっかりと行う習慣があり、兄弟愛や家族愛を大切に重んじる儒家にとっては、対極に位置する考えでした。
非命
非命論とは、人は努力をしさえすれば自分の運命や国の運営をも変えられると説きました。
人の気力ややる気を奪ってしまう、運命論を否定する考え方です。
非楽

非楽論とは、人を悦楽に浸らせ労働意欲を削ぐ音楽や舞楽を否定しました。
人は音楽を聴いて現実逃避してしまうので、現実逃避するなら生産性がある物事に注力しようと説きました。
ただし、感情に揺さぶるような音楽については、否定も肯定もしませんでした。

ぽん太
墨家は、音楽や舞楽も否定していたなんて、相当硬い思想家集団だったことがわかるね。
天志

天志論とは、上帝(天地・宇宙・万物を支配する神のこと)を絶対的なものとして位置づけました。
天意に反することは、絶対的な悪として捉えました。
そのため、無差別に人を殺める殺戮や戦争を否定している、兼愛論の思想と繋がります。
道家や法家などの思想は、神を人格神として扱っていなかっので、墨家は宗教的な特色も兼ね備えているね!

ぽん太
明鬼

明鬼論とは、人々の善悪に応じて罰を与える鬼神の存在を主張しました。
この主張は、争いや悪い行いを抑制させるために説かれたと言われます。

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この思想も鬼神について触れなかった、儒家と対立します。
『墨子』の名言を現代語訳とともに紹介


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墨子の名言を現代語訳とともに紹介します。
<白文> 人はその長ずる所に死せざるは寡(すく)なし <現代語訳> 人は自分の長所によって身を滅ぼすことが多い
<白文> 足財なきにあらざるなり、われに足心なきなり <現代語訳> 安心して居られる場所が無いのではなく、心を安らかにする術を知らないから安居できないのだ
<白文> 兼ねて相愛し、こもごも相利す <現代語訳> みなが相愛し、互いに相利する。自分のことのように相手を考えよ
<白文> 乱のよって起こる所を知って、よく之れを治む <現代語訳> 乱はそれが起こる理由の根本を知ってはじめてよく治めることができる
「墨子」の論文集

ここでは「墨子」についての論文を紹介します。
ぜひ参考にしてみてくださいね!
まとめ|墨子は『墨家』の思想を築いた

さいごに墨子についてまとめました。
- 墨子は、墨家の祖
- 墨子は、儒家と真っ向から対立した思想
- 墨家を思想とする者(墨者)の多くは、工匠・土木業者だった
- 宗の城の防衛などに参加した
- 墨子は司馬遷『史記』にもあまり情報が載っていなく謎の多い人物である
近代に入り、キリスト教の「隣人愛」に類似しいることや21世紀には中国科学技術史の源流として墨子は評価されているよね!

ぽん太

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