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ネルウァとはどんな人物か?時代背景から生い立ち、論文をご紹介!

5 min
ネルウァが馬に跨がっている

ネルウァ(30年〜98年)とは、元老院議員より皇帝となった皇帝です。元老院と強調して秩序回復をはかり、貧困市民の子供を救済する政策などを実地しました。

ローマ皇帝であるネルウァは、60歳と老齢ながら皇帝として即位した人物です。

ネルウァは、養子がいなかったためトラヤヌスを後継者にして、従来の世襲制度を取り止めて五賢帝時代の幕を開きました。

公共事業については、既に着工していた工事やインフラの設備に資金を捻出しました。

この記事では、

  • ネルウァという人物像
  • ネルウァが行った帝政
  • ネルウァの晩年

について筆者の考えを交えながら解説していきます。

関心のある部分から読んでみてください。

五賢帝時代は、ネルウァからマルクス・アウレリウスが帝位継承するまで続いたよね!

ぽん太

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maru

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そんな、ネルウァの生い立ちや帝政での振る舞いについて解説していきます。

ネルウァはどんな人?

ネルウァはどんな人?
  • 何代目: ローマ皇帝第12代皇帝
  • フルネーム: マルクス=コケイウス=ネルウァ
  • 生没: 35年〜98年 (享年62歳)
  • 在位: 96年〜98年 (2年間) 
ネルウァの銅像
出典: FORVM PACIS

五賢帝一人目の皇帝。

即位したときはすでに60歳(ローマでは既にかなり高齢)であったため、病弱で食べ物を元に戻すこともしばしばあったと言われます。

古代ローマ帝国の文献から、ネルウァは少人数の時をまとめる力はあったけど大人数をまとめるリーダーシップは兼ね備えていなかったことがわかります。

即席で皇帝として即位したネルウァは、国の大事な決断をすることがストレスではなかったのかと思います。

maru

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彼自身の実績より、世襲にたよらない五賢帝時代の幕を開けたことが評価されています。

ネルウァの年表

ネルウァの年表

西暦 (年齢)

  • 35年(0歳)
    • 法律家で元老院議員の父マルクス・コケイウス・ネルウァとセルギア・プラウティッラの子として誕生
  • 65年(29歳)
    • ネロ帝(27歳)の暗殺を企てた、ピソの陰謀を阻止
  • 68年(32歳)
    • ネロ帝が自殺に追い込まれる(享年30歳)
  • 71年(35歳)
    • ウェスパシアヌス帝(62歳)によって執政官に任命される
  • 90年(54歳)
    • ドミティアヌス帝(39歳)によって執政官に任命される
  • 96年(60歳)
    • ドミティアヌス帝(45歳)暗殺後、元老院によって皇帝に推戴される
  • 97年(61歳)
    • 親衛隊の反乱勃発。ネルウァは軟禁される
    • 親衛隊はドミティアヌス帝暗殺者2名を殺害後、 ネルウァを釈放
    • 上ゲルマニア属州総督のトラヤヌス(44歳)と養子縁組
  • 98年(62歳)
    • 突然激昂した後、意識を失ってそのまま崩御

ネルウァの生い立ちから、即位の経緯まで

ネルウァの生い立ちから、即位の経緯までの画像
ローマの橋

老齢ながら、皇帝として即位したネルウァの生い立ちはどのような生活を送っていたんだろう?

ぽん太

ぽん太

maru

maru

これから、ネルウァの生い立ちから皇帝即位まで解説していきますね。

 ネルウァの生い立ち

イタリア本土の都市ナルニにて生まれます。

ネルウァの家柄は裕福な氏族ではあったが、抜きん出て突出した力はありませんでした。

しかし、アウグストゥスが実質上の帝政をはじめてから、突出した力を持つ勢力へと成長を遂げました。

都市ナルニには、ネルウァの銅像が掲げられているよ

ぽん太

ぽん太

maru

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人気シリーズである「ナルニア国ものがたり」のナルニアは、都市ナル二が由来となっています。

 帝政内での振る舞い

ネルウァ帝の在位期間は、わずか2年間で治世の終わりを迎えます。

皇帝として在位期間が短かったことと、ネルウァ自身そこまで業績や功績を残していなかったので現代の文献や記録にはほとんど情報がありません。

ネルウァが大きく歴史上に姿を表すのは、人類史上初となるキリスト教の迫害を行ったネロ帝の暗殺を企てたピソを阻止した出来事です。

この出来事は、後にローマ皇帝として即位する大きな一歩となりました。

同年、ネルウァは法務官(プラエトル)に指名され宮殿内での地位を確かなものとしました。

主に軍を指揮する司令官という立ち位置の称号です。

(筆者の考え)あまり歴史の表舞台に出てこなかったネルウァは、騒ぎや事件を起こすことは苦手だったのではないかと思います。

ネルウァは、人脈が広く、後に皇帝となるウェスパシアヌスと親友の間柄でした。

その間柄を証明する出来事が、ユダヤ戦争(67年)にウェスパシアヌスが出陣する時に、末っ子の面倒をネルウァに頼んだというエピソードです。

71年になり、ネルウァが35歳になる頃、親しい間柄であるウェスパシアヌスが皇帝となりました。

ネルウァは執政官(コンスル)に任命されて大きな権力を得ることになります。

maru

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執政官は皇帝の側で働くため、二人の仲は深い信頼で結ばれていたことが推測できます。

第14代皇帝であるハドリアヌスの時代には、第二次ユダヤ戦争が勃発したね!

ぽん太

ぽん太

 ネルウァの皇帝即位のきっかけ

ネルウァの皇帝即位のきっかけとなったのが、第11代ローマ皇帝ドミティアヌスが暗殺されたことが契機となりました。

第11代ローマ皇帝ドミティアヌスが暗殺され、元老院は急遽会議を開き全会一致でネルウァを皇帝とすると、宣言しました。

ネルウァ帝が皇帝として元老院に支持された理由は、

  • 政治経験が豊富な古議員だったため
  • ドミティアヌス帝が暗殺されたため、即席の皇帝としては都合がよかった

などの理由が挙げられています。

(筆者の考え)ネルウァは、老齢であり温和な性格であったため、皇帝即位の推薦を拒否できなかったのではないかと思います。

ネルウァの内政

ネルウァの内政

ネルウァが五賢帝の最初の皇帝として即位すると、ドミティアヌスの「暴君」ともいえる統治に対して、平穏な統治を勤めました。

まず、元老院に「これからの治世において元老院議員を処刑することはしない」と宣言しました。

そのため、ドミティアヌスによって不法に投獄されていた者や没収されていた金品や財産を全て持ち主に返還しました。

民衆への祝い金や貧困層に対する税金の特別免除など福祉政策を実施しました。

そのため、すぐに財政難に陥りドミティアヌスが建設した黄金の銅像や銀の銅像などを全て溶かし、金銀に戻したと言われています。

ネルウァは、元老院より個人的に仲の良い知人を手厚くもてなしたことで反ネルウァ派が形成されることになりました。

民衆からの支持を得ることはできましたが、元老院からの支持を集めることがなかなかできなかったと言われております。

maru

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公共事業については、在位期間が2年間だったこともあり着工していた工事に資金を捻出しました。

第15代皇帝アントニヌス・ピウスも貧民救済を行ったよね!

ぽん太

ぽん太

ネルウァの晩年

ネルウァの晩年

軍に対してだけは思うように支持を得ることができませんでした。

ネルウァは、平穏な統治や救済などの政策行ったことで内乱の危機を防ぐことはできました。

また、自らの発言力があまりにも弱いと感じ、次第に国家の重要な決断を避け始めました。

ネルウァは、「皇帝として即位する前に罪を犯した者や反逆者の裁判を独断で行わないように」と元老院へ要請していました。

それにもかかわらず、彼は元老院による密告者への処罰を一部に許可していることが発覚します。

そのような理由も含めて、元老院や軍からの信頼も落ち始めていきます。

その結果、元老院からの信頼も落ち始めます。

ネルウァが深く信頼する部下であったユリウス・フロンティヌスは「暴君と呼ばれるドミティアヌスの政治の方が、ネルウァ帝の無秩序より平和だった」と言葉を記しています。

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このことから、ネルウァが晩年に近くにつれて内政が崩壊していたことが推測できます。

ネルウァ、暗殺事件とは?

皇帝として即位した年の翌年、殺人未遂の事件が発生します。

首謀者は処刑されましたが、ネルウァの健康状態が更に悪化する出来事となりました。

上記にも記した通り、ネルウァは子宝に恵まれていませんでした。

そのため、将軍や大名に仕える養子から後継者を選ぶことを決断しました。

当初、ネルウァが後継者として選んだのはイタリア本土生まれの、シリア属州総督マルクス・コルネリウス・ニグリヌス・クリアティウス・マテルヌスであったと考えられています。

しかし、軍や元老院は、軍団としての実績や民衆からも支持が十分にあるトラヤヌスを後継者にするよう訴えました。

(筆者の考え)ネルウァは、軍として活躍しているトラヤヌスを皇帝にしないといけないような状況に陥られてトラヤヌスを後継者に選んだのではないかと思います。

ネルウァ崩御とその後

ネルウァは62歳になる98年に脳卒中で倒れ、別荘で崩御しました。

その後、火葬されたネルウァを神格化する儀式を行い、トラヤヌスを新たな皇帝として迎えいれました。

トラヤヌスは軍団長としての実績も厚かったため、民衆も軍は熱狂して支持をしました。

「ネルウァ」の論文集

「ネルウァ」の論文集

ここでは「ネルウァ」についての論文を紹介します。

ぜひ参考にしてみてくださいね!

 まとめ | 五賢帝時代の幕を開いたネルウァ

五賢帝の幕を開いたネルウァについての説明のまとめ

さいごにネルウァについてまとめました。

  • およそ、200年間続く五賢帝時代の幕を開けた
  • 貧困の市民への救済活動や平穏な統治をおこなった
  • 即位時は、65歳であり非常に病弱であった
  • 少人数の時には、活躍できるが国をまとめるリーダーシップの要素は持っていなかった

ネルウァは、貧困の市民への救済活動や平穏な統治をおこなった皇帝です。

1年3か月の短い治世の後、養子のトラヤヌスに帝位を譲りました。

世襲にたよらない五賢帝時代の幕を開けたことが高く評価されています。

maru

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メディアの編集者&ライター。
「雑学を知ることで世界の視点が広がる」をテーマに、クセになる世界雑学を発信しています。

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