諸子百家(しょしひゃっか)とは、西周の封建制度の崩壊により新しい言論や思想の開花によって花開いた思想家のことです。
この記事では、9つに分かれた思想について解説していきます。
諸子百家って、よく聞くけど詳しくわからないな〜。

ぽん太

maru
これから、諸子百家の意味やそれぞれの思想について紹介していきますね。
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「諸子百家」とは?

諸子百家は、春秋時代末期から戦国時代の思想家や学派の総称。
それぞれ、独自の宇宙観・社会観・人生観から政治や社会のあり方について説きました。
諸子百家が誕生した背景には、中国の各地で自らが王を自称して国と国が侵略し合う、戦国時代にあります。
戦国時代は、他国からの人材の登用が難しいため他国や頭の良い者を積極的に優遇していました。
そのような状況下で、生まれた思想家が「諸子百家」です。
春秋時代の地図↓

戦国時代の地図↓

諸子百家の分類一覧

諸子百家は、9つの分類に分かれました。
- 儒家
- 孔孟思想とも呼ばれ、後に中国の政治方針の支柱となった思想
- 道家
- 老荘思想とも呼ばれる。無理に頑張らなくていいよという思想
- 法家
- 法治国家の礎を築いた思想
- 墨家
- 平和主義。兼愛、交利、非攻を掲げた思想
- 兵家
- 軍略を説いた思想
- 縦横家
- 外交策略を説いた思想
- 陰陽家
- 占いの元になった思想
- 名家
- 名(言葉)と実(実体)の分析を通じて弁論に通じた思想
- 農家
- 農耕を説いた思想
諸子百家ってこんなに種類があったんだ!

ぽん太

maru
これから、出来るだけわかりやすく解説しますね。
儒家

儒家とは諸子百家のうち孔子を祖とする学派。(孔子思想とも呼ばれる)
孔子(孔丘)の家族道徳の実戦により仁の完成と礼的秩序の維持をめざし、徳治主義の政治を理想とします。
儒家は、のちの儒教となった一大宗教です。
周初の礼と封建制度の復活を主張しました。

maru
儒家を生み出して、発展させた孔子、孟子、荀子について紹介します。
中国の政治方針の支柱となった孔子

◽︎ 孔子のプロフィール
- 本名: 孔丘(こうきゅう)
- 名は丘(きゅう)
- 字は仲尻(ちゅうじ)
- 生没: 前552年〜前479年(春秋時代)
- 出身地: 魯
孔子は儒家の祖です。
春秋時代になったころ、春秋時代の有力諸侯を周り、理想国家の実現を目指しました。
(孔子は今の世の中には「道徳」が必要だと説きました。その結果、弟子の人数は3000人に登ったと言われます)。

maru
孔子は、
- 孔子の仕えた魯の年代記である『春秋』(後の五経の一つ)
- 弟子たちにより編集された言行録『論語』
を生み出しました。
孔子はキリスト、ソクラテス、釈迦と並び四聖人と呼ばれるよね!

ぽん太
性善説を唱えた孟子

◽︎ 孟子のプロフィール
- 本名: 孟軻 (もうか)
- 孟子は尊称
- 生没: 前372年〜前289年 (*戦国時代)
- 出身地: 魯の雛
孟子は、戦国時代の思想家です。
斉や宗などの諸国に遊説して、性善説を説きました。
帰国後は、弟子の教育にあたりました。
性善説は、「人の本性は善で、不善は後天的なものであるとし、人は皆聖人になることができる」という意味です。
仁義の徳による「王道政治」を主張し、易姓革命論(討伐、禅譲)を主張しました。
孟子は、孔子の教えを継承・発展させます。
その後、『孟子』と呼ばれる孟子の言行録(書物)が弟子によってまとめられました。
性善説を教育論のお話に置き換えるとわかりやすいね!

ぽん太

maru
『孟子』は、自身ではなく弟子によってまとめられたので注意して覚えましょう。
法律を作るきっかけとなった荀子

◽︎ 荀子のプロフィール
- 本名: 荀子 (じゅんし)
- 荀卿は尊称
- 生没: 前298年〜前235年 (*戦国時代)
- 出身地: 趙
荀子は、戦国末の思想家。
戦国の七雄である趙出身であり、斉・楚に仕えました。
孟子の性善説に対して、性悪説を説きました。
性悪説は、人は礼によって善へ導くことを主張。
荀子の門下から、李斯・韓非子など法家の思想家を生んだよね!

ぽん太
道家

諸子百家のうち、老子を祖として荘子が継承して発展させた学派。
儒家の仁や墨家の兼愛を初めすべての人為的なものを排し、宇宙自然の原理である道を求め、無為自然を説きました。
後に魏晋南北朝時代の老荘思想や道教の思想的根拠となりました。
現代でいう「丁寧な暮らしを大事にしたり、何かを成し遂げなくていいから、今ある生活を楽しむ」っていう生き方を提唱していたんだね!

ぽん太

maru
道家は、「出世や権力に縛られない生き方が大事だと説いた哲学」だと言われますね。
「歴史がさらに面白くなる秘密」
古今東西、諸子百家に出てくる「儒家」と「道家」のような、「リーダー論」か「今を大事にして生きよう」という思想が並び続けに出てきます。
◽︎ 儒家のような「リーダー論」の哲学
- 儒教
- 禅
- ストア派
◽︎ 道家のような「今を大事にして生きよう」という哲学
- 道教
- 浄土教
- エピクロス派
現代であっても
「プログラミングで爆速でお金を稼ぐ方法!」「人生は25歳までで決まる」といった本がある一方で「観葉植物を手入れして、少し豊に暮らそう」「日常にゆとりを生む方法」などのまったり生きる本があります。
これらの思想は、どちらも人気があり現代の哲学(生き方)にも影響を与えています。
また、渋沢栄一はこのようなことを述べています。
道徳や人間性は 科学と違って進化していない
このため、「歴史」を学ぶといろいろなことがわかります。
無為自然を説いた老子

◽︎ 老子のプロフィール
- 本名: 老子 (ろうし)
- 生没: 前579年〜前499年
- 出身地: 楚出身
老子は、道家の祖であり、儒家のいう道徳を不自然なものとして批判し宇宙原理としての「無為自然」を説きました。

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老子は、太陽や地球と同じく自然は毎日同じことをしているから、人間もなにもしなくてもいいと説きました。
現代でいうミニマリストのような思想を持っていました。
道家の大成者となる荘子

◽︎ 荘子のプロフィール
- 本名: 荘子 (そうし)
- 生没: 前4世紀頃 (戦国時代)
- 出身地: 宋出身
諸子百家の大成者であり、孟子とほぼ同時代の人でしばしば比較されます。
常に疑うことを「懐疑論」を展開して、「無為自然」を説いて精神的に自由な世界に生きることを重視しました。
彼の代表作である『荘子』は、33編で構成されるがそのうちの7編が彼が書いたと言われます。
中でも、『胡蝶の夢』が有名な寓話です。
『胡蝶の夢』 「むかし、荘子は夢に胡蝶となり、自由に楽しく飛び回っていたが、目覚めると紛れもなく荘子である。しかし、荘子が夢に胡蝶となったのだろうか、胡蝶が夢に荘子となったのだろうか……」
『胡蝶の夢』は、上記のような内容であり荘子の思想を象徴と言われます。
法家

法家とは、性悪説に基づき、礼に強制力を持たせ法律とした諸子百家。
権力による信賞必罰(しんしょうひつばつ)の規則を正して社会の秩序を築くことを主張しました。
後の法治国家の基礎となり、秦の始皇帝(嬴政)が採用して富国強兵に成功します。

maru
現代の「法律」の礎を築いた商鞅、李斯、韓非子について紹介していきます。
中国統一の基礎を築いた商鞅

◽︎ 商鞅のプロフィール
- 本名: 商鞅 (しょうおう)
- 姓は姫 (き)
- 氏は公孫 (こうそん)
- 名は鞅 (むながい)
- 生没: 前390年〜前338年 (戦国時代)
- 出身地: 衛(えい)の貴族出身
- 衛(えい): 中国の周代・春秋時代から戦国時代にかけて河南省の一部を支配した諸侯
商鞅は、秦の第25代の王である孝行に仕え、改革を推進しました(商鞅の変法)。
世襲制の封建制に代わる支配制度の郡県制を生み出しました。
また、什伍制を開始して、秦は強国になりました。
しかし、強引な改革の推進者として孝公の死後、改革派の反対派により処刑される最後を迎えました。
始皇帝の丞相として仕えた李斯
◽︎ 李斯のプロフィール
- 本名: 李斯 (りし)
- 字は通古 / 子は李由
- 生没: ?〜前210年 (*戦国時代)
- 出身地: 楚の北部にある上蔡出身
人気漫画『キングダム 』にも登場してくる、李斯は、性悪説を説いた荀子に学び秦の始皇帝に丞相(じょうしょう)として仕え、中国統一に内政面で大きく貢献しました。
郡県制(ぐんけんせい)を全国に拡大して、度量衡や文字・貨幣の統一を行い秦国を法治国家として推進させます。
才能に嫉妬されて暗殺された韓非子

◽︎ 韓非子のプロフィール
- 本名: 韓非(韓非子)
- 生没: ?〜前233年 (戦国時代)
- 出身地: 韓
荀子の弟子である韓非子は、「性悪説」を発展させて、法律がなければいけないことを主張した。
秦の始皇帝は、法治国家を目指してました。
そのため、韓非子を咸陽にて招きますが、同門(荀子の弟子)の李斯に妬まれ謀略により自殺に追い込まれました。
法家思想を集大成した『韓非子』は、春秋戦国時代の思想・社会の集大成の分析とも言えます。
墨家

墨家とは、諸子百家のうち墨子を祖とする学派。
儒家は、
- 無差別平等の兼愛
- 相互扶助の交利
- 戦争に反対する非行
- 身分に関わらず賢者を採用する尚賢
などを説きました。
もう少し噛み砕くと、墨家は「無差別の愛」を説きました(*キリスト教のアガペーに似ています)。
儒家の「礼楽」を蔑視して、勤倹節約を重んじました。
墨家の祖となった、墨子はどんな人なんだろう?

ぽん太
墨家の祖となった墨子

◽︎ 墨子のプロフィール
- 本名: 墨子 (ぼくし)
- 姓は墨
- 諱は翟(てき)
- 生没: 前480年〜前390年 (春秋時代・戦国時代)
- 出身地: 魯の人で宗に仕えました
墨子は、「墨」という姓から墨(すみ)を頻繁に扱う工匠・土木業者でした。
儒学を学ぶも「仁」の思想を無差別的な愛であるとして満足していなかったといいます。
そこで、独自で思想を開き、一つの学派を築くまでに至りました。
墨子は、
- 兼愛説 (けんあいせつ)
- 無差別平等に人を愛することを主張
- 非攻説 (ひこうせつ)
- 戦争は財物を略奪するのみならず財物を消費する最大のものとして否定
- 尚賢説 (しようけんせつ))
- 道徳や才能の優れたものを政治の重大人に任用すべきであると説く
- 交利説 (こうりせつ)
- 兼愛は実質的内容である利益をお互いに与えあうことを必要とすると主張して、相互扶助を説く
上記の思想を説き、主に手工業者や商人を中心に学派を形成します。
しかし、あまりにも平和な墨家は戦国時代の諸侯に好まれませんでした。

maru
司馬遷『史記』に、「墨子」の記録が書いてあり、謎多き人物だったということが記載されていました。
兵家

兵家とは、中国古代の思想で諸子百家の学派の一つです。
諸侯間の抗争の時代を反映して出現した戦略・先述のを説いた思想です。
現代においては、戦わず勝つ兵法である『孫子』はビシネスマンや経営者にも読まれています。
春秋時代の呉に仕えた孫子

◽︎ 孫子のプロフィール
- 本名: 孫子 (そんぶ)
- 生没: 前6世紀〜前5世紀 (春秋時代)
- 出身地: 春秋時代の呉に仕えた
孫子は、春秋時代に現れた武将であり、思想家です。
孫子が戦術・戦略論をまとめあげた『孫子』は、現代に続くまで様々な方に読まれてきました。
◽︎ 中国
- 三国時代(184年〜280年)
- 戦略の天才曹操が参考にした
- 宗時代 (960年〜1279年)
- 宗の武経七書でも一番読まれていた
◽︎ 日本
- 日本(奈良〜平安) (618年〜907年)
- 遣唐使によって、日本に『孫子』が運ばれる
- 日本(戦国時代) (15世紀末〜16世紀末)
- 武田信玄が参考にしていたと言われる
- 日本(戦国時代〜江戸初期)
- 徳川家康は、部下の武将に『孫子』を配って天下統一を成し遂げた
◽︎ フランス
- 1769年〜1821年
- ナポレオンが『孫子』を参考に『戦争論』を書いた
◽︎ 現代
- ソフトバンク株式会社取締役会長
- 孫正義の愛読書
- マイクロソフトの共同創業者
- ビルゲイツの愛読書
孫子ってすごい人なんだね!

ぽん太

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孫子については、今度細かく解説しますね。
戦国時代の楚に仕えた呉起

◽︎ 呉子のプロフィール
- 本名: 呉起 (ごき)
- 生没: 前440年〜前381年 (春秋時代 )
- 出身地: 戦国時代の楚に仕えました
『呉子』は『孫子』に続く戦術・戦略論の大著。
春秋時代に著されたとされる兵法書であり、古くから『孫子』と並び表されていました。
縦横家

縦横家は、諸子百家の一派。
戦国の七雄が中国の覇権をめぐり抗争するなか、各国の君主に種々の外交政策を説いた戦略家です。
蘇秦(そしん)・張儀(ちょうぎ)の他に10人ほどが知られていました。
今回は、縦横家の中でも有名だった蘇秦(そしん)と張儀(ちょうぎ)について解説していくよ!

ぽん太
秦に対する合従索を唱えた、蘇秦

◽︎ 蘇秦のプロフィール
- 本名: 蘇秦 (そしん)
- 生没: 不明〜前317年 (戦国時代)
- 出身地: 洛陽出身
戦国時代の縦横家の一人。
燕の昭王に進言して趙と同盟を結び、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させました。
その結果、紀元前241年(始皇6年)に函谷関の戦い(かんこくかんのたたかい)が勃発することになりました。
『キングダム 』でも熱いシーンが繰り広げられる戦いのきっかけを作った人なんだね!

ぽん太
六国が個別に秦と連合することを説いた、張儀

◽︎ 張儀のプロフィール
- 本名: 張儀 (ちょうぎ)
- 生没: 不明〜前310年 (戦国時代)
- 出身地: 不明
連行策(れんこうさく)を唱え、戦国の七雄の秦を除く六国が秦と連合することを説きました。
蘇秦と共に縦横家の代表的人物とされ、秦の宰相として蘇秦の合従策を連衡策で打ち破り、秦の拡大に貢献しました。
陰陽家

諸子百家の一つ。
天文暦学を中心に、社会と自然の動きの体系を説明しようとしました。
この理論は、天災などの自然現象とも関連づけられ、迷信や禁忌(タブー)を人間の生活の中に持ち込みました。
陰陽家の思想は、後に易経や五行説とも結びつきました。

maru
占星術を説いた鄒衍
◽︎ 鄒衍のプロフィール
- 本名: 鄒衍 (すうえん)
- 生没: 前305年〜前240年 (戦国時代)
- 出身地: 斉出身
鄒衍は、戦国時代の思想家で陰陽家。
五行説を唱えて、政治や社会の動きを五行の消長に結びつけて論じ、諸侯に重んじられました。
鄒衍が説いた五行説は、秦漢時代に流行して、後世にまで伝えられました。
現代の日本(陰陽師)にも影響を与えているよ!

ぽん太
名家

名(概念・言葉)と実(形・本質)との関係を追求した論理学派であり、諸子百家の一つ。
名とは名称や言葉を表すものであり、実はそのものの本質です。
社会の秩序を維持するため、概念の分析・規定を論じ、不安定な人間の知識を超越した見方を得ようとしました。
哲学的には、発展せず秦漢以降に衰退しました。
論理学を発展させた公孫竜

◽︎ 公孫竜のプロフィール
- 本名: 公孫竜 (こうそんりゅう)
- 生没: 前4世紀〜前3世紀頃 (春秋戦国時代)
- 出身地: 趙出身
公孫竜は、弁論術にすぐれ中国では珍しい論理学を発展させたことが評価されています。
公孫竜が言ったとされる
白馬は馬に非ず
の名言は有名であります。
この名言は、「馬」というのは動物の「馬」という意味です。
しかし、「白馬」というのは「白」という色と「馬」という動物が組み合わさったものなので、「馬」とは違うという意味です。
農家
戦国時代はじめに、山東の貧農集団の指導者である許行(きょこう)が提唱した諸子百家の一つ。
神農の教えとして働く農民の立場から農業の重要性を説き、万民平等に農耕すべきことや、物価を欽一にすべきことを諸国に説きました。
自給自足を説いた許行

◽︎ 許行のプロフィール
- 本名: 許行 (きょこう)
- 生没: 生没年不詳
- 出身地: 楚国出身
許行は、国家の構成員全員での耕作による自給自足を主張する農業至上主義・平等主義の立場を取りました。
許行以降に思想を引き継ぐ者がいなかったため、発展はしませんでした。
「諸子百家」の論文集

ここでは「諸子百家」についての論文を紹介します。
ぜひ参考にしてみてくださいね!
まとめ|諸子百家は中国の礎を築いた思想家集団

さいごに諸子百家についてまとめました。
- 儒家は、「リーダー論」の哲学。後に儒教と引き継がれていく
- 道家は、「無為自然」を説き、老荘思想や道教の思想的根拠となる
- 法家は、「統治国家」の礎となる法律を作った
- 墨家は、「無差別の愛」を説き、勤倹節約を重んじた
- 兵家の『孫子』は今でもビジネスマンや経営者の愛読書となっている
- 縦横家は、各国の君主に種々の外交政策を説いた戦略家であった
- 陰陽家は、後に『易経』や五行思想に結びついた
- 名家は、名と実の関係を追求した論理学派であった
現代にも多くの思想が受け継がれているね!

ぽん太

maru
最後まで読んでいただきありがとうございます。